アトラクト

アトラクト

お茶の時間
何気ない日々の暮らしの片隅に
音楽が息づいていたら素晴らしいことだと思います

お茶の時間 -音楽の捧げもの- Web連載 第3回

真っ赤な革のウォーキングシューズ

前回に続いてウォーキングネタが続いています。

コロナ禍に入るずっと以前、アトラクトジャーナルの写真を撮影するために(当時はジャーナルのページに私の拙い写真も幾枚か含まれていた)、高知の名所「桂浜」に出かけたときのことだった。時刻にして午後の3時頃。いつもは通ったことのない海沿いの細い崖道を、撮影スポットを探しながら歩いていた時、前方から明らかに外国人と思しき金髪で色白、スマートで私よりずっと若そうな青年が足早にこちらに向かって歩いて来た。その道は、すれ違いできるほどの広さはなく、こっちの方に少しだけスペースがあったので「プリーズ」と言わんばかりに道を譲った。

青年は往年の、かのイケメン男優がシネマの劇中で魅せるような艶やかな笑みを湛えながら、軽い会釈をして私の前を通り過ぎた。特に何を期待するでもなかったが、「サンキュー」とは返って来なかった。

その颯爽とした後ろ姿を見送りながら、もうひとつ彼の出で立ちについて、ひどく興味のある部分を目で追っていた。それは彼が履いていた真っ赤な革のウォーキングシューズだった。その時その青年が身に付けていた、薄い毛糸のセーターの色とコットンパンツの色と、鮮やかな赤いシューズのカラーコーデが、たちどころに私を魅了したからだった。

明確な意図を持って、計算しつくされたものであればあるほど、清々しく心を穏やかな気分にしてくれる。サワサワと心地良いさざ波を私の心臓の鼓動の波打ち際に起こして、その外国人の青年は視界から去っていった。

ちょっと振り向いてみただけの異邦人で終わるはずだった彼の、履いていた赤い皮のウォーキングシューズがたちまち私の物欲に火を灯し、それからというもの私は本気で赤い革のウォーキングシューズを探し始めることとなった。

我が街に、真っ赤な革製の、しかもウォーキングシューズという三拍子揃ったお目当ての靴を果たして見つけることができるだろうか。何がなんでも「スマホで検索」という時代でもなかったが、その幸運は意外と突然、航空貨物より早くやってきた。ほどなく、全くの別用で出かけた地元の百貨店の靴売り場で、熱い視線を私に向ける赤いウォーキングシューズに出会ったのだ。おまけに本革製である。その滅多にないような幸運のおかげで、いとも簡単に三拍子揃った赤いシューズを僕は手にすることができた。

もっぱら夜の遅い時間だったが、気まぐれな主人のウォーキングに、ゴム底の厚みが、ある部分は0mmになるくらい長い長い間付き合ってくれた赤い靴は、やがていつしか我が家の下駄箱から姿を消した。

アトラクト・ラルゴ店の立つ場所は、背景にマンションや住宅地が多く、昼に夕にウォーキングする人々をよく見かける。この項を書いている今も、ふと窓越しに眼をやると、思い思いの出で立ちのウォーカーをよく目にする。

つい先日も、窓の外に一人の女性ウォーカーがこちら側に道路を横切って歩いて来た。目を凝らせばやっとわかるほどの上品なピンク色のセーターに、グラデーションを思わせるような淡いカラーのスラックス。問題はウォーキングシューズだったが、彼女の履いていたそれは、全身の中でとても際立つ濃さのピンク色で、かつて見たことのない色合いを呈していた。私の背後の本棚にある色彩図鑑のピンクのチャートから言えば、C8 M61 Y19 KO あたりに相当する。上品さを失わず、その出で立ちの中では当然のように主役を張っていた。その姿を見送りながら、ふと、あの桂浜の午後の感覚を思い出した。

私の若かった時代には、街でこの二人のようなウォーカーに出会うことは少なかった。それが今日では至る所でそんな素敵なウォーカーたちを目にするようになった。

たまたま二人のウォーキングスタイルに心をときめかせたわけだが、彼らの立ち位置が何気ない日常の延長線上にある、ささやかな意志の発露のように見えて好ましく思えたのだった。

私はこれで行く、と。

今日もまた心臓の鼓動の波打ち際で一人立ち尽くす僕がいた。

※ウォーキングネタはひとまずこれで終わりとします。私のウォーキングスタイルは、半年の季節の移り変わりの中で、「極寒の追跡24時スタイル」からは随分と軽々しいものとなりました。コンビニ・レジ袋入り簡易ウォーキングライトを手にする以外は…。