アトラクト

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空と転車台

空と転車台 Web連載 第2回

久世光彦さんに魅せられて

連載のタイトルに「空」を入れた。空といえば、次の歌が浮かぶ。

窓枠の四角い空にひだりより三番目の雲さかんにうごく

梅雨の季節の、一面雲に覆われた空はつまらない。
いろいろ変化に富んでこそ空である。漠とした空。それを己のものとして、どうやって捉えるか。その一つの案を先に掲げた、小池光さんの歌(「続小池光歌集」現代短歌文庫より)が示していると思う。広大な空と自己の間に枠を構える。この枠内こそ、切り取ったそれぞれの空になる。手の届かない、遠い存在を手中にする。バラバラに、ただ浮かんでいる雲が、何やら近しく感じられるのだ。ふつうなら記憶に留まらない雲が、「三番目」となるのだから。
風景画もそうだ。画家の感性に響いた空間が、切り取られ凝縮されて絵となる。

小池光さんのことは、作家・演出家の久世光彦さん(1935〜2006年)を介して知った。それは久世さんが亡くなってから。四十九日を終えたとの、久世さんの奥さまからの手紙を通して。そこに小池さんのこんな歌が載せられていたからだ。

死蛍のぽつりと落ちて秋立ちぬ草の子供のそしてそれから

久世さんが好きだった歌。それを詠んだ小池さんは、私にとって最も気になる歌人になった。

「一九三四年冬—乱歩」を読み、久世さんの世界に引き込まれた。執筆に行き詰まってホテルに逃避していた乱歩をモデルにした作品。物語の構成の素晴らしさはもちろん、文章に魅了され、いっぺんに虜になった。作家の川上弘美さんは、日本経済新聞に寄せた久世さん追悼文に〈久世さんの小説は、文章がきもちいい。目で追うのもいいが、声に出して読むならば、もっとここちよい〉と書いている。

「久世さんの文章に浸りたい」
虜になって以降、久世さんの本はほぼ読んだ。新作はまず雑誌で読み、単行本になったらまた読む。久世さんは1998年、高知市夏季大学の講師として来高。私は希望して講演筆記を担当した。事前のあいさつで初めてお目にかかり、翌日には、筆記の内容に間違いないかチェックしてもらった。当時は夏季大講師は大抵、翌日夕のNHK高知放送局の番組に出演していて、本番前などに筆記原稿に目を通してもらうことが可能だったのだ。
こうして2日間、憧れの作家に会うことができた。そして、それが最初で最後となった。

 
2006年3月2日、私は夕刊紙面編集のデスクをしていた。編集局に共同通信からの速報(通称ピーコ)が鳴った。久世さんが亡くなったという。聞き間違いかと思った。だが、時差で入るファクスには久世光彦さんの名前があった。社会面に3段格の見出し(当時の紙面は15段組)で死亡記事を掲載。共同通信の配信に、夏季大講師として来高したことを書き足した。

来高時、久世さんの奥さま、朋子さんが同行されていた。朋子さんはエッセイスト。久世さんの思い出をつづる連載が、平凡社のPR誌「月刊百科」2009年1月号から始まった(後に単行本「テコちゃんの時間」に)。そのころ、朋子さんは銀座で、おしゃれなバーも経営されていた。出版関係の方々が多い“文壇バー”。私も上京時に何度かお邪魔した。一度はカウンター席に帝国ホテルの犬丸一郎さんと並んで座った。

「夏季大から12年。干支が一巡りしましたね」との私の言葉を受けて、朋子さんは2010年夏、高知を再訪。以後何度か訪れ、高知ファンになっていただいた。

久世光彦さんのエッセー集に「マイ・ラスト・ソング」がある。あなたは最後に何を聴きたいか。5冊の単行本のうち、例えば1995年に出版された本には「アラビヤの唄」「港が見える丘」「さくらの唄」などの項目が並ぶ。

このエッセーに材をとった「マイ・ラスト・ソング・コンサート」が、久世さんが亡くなった後、何度か不定期に開かれている。久世さんを師と仰ぐ女優の小泉今日子さんが朗読、シンガーソングライターの浜田真理子さんが歌い、ピアノを弾く。私は2012年、久世さんの七回忌に合わせて六本木のライブハウスで開いたコンサートを聴いた。15年には富山の文学館の企画展の一環として。18年にも西梅田のビルボードライブ大阪で、朗読と歌を堪能した。そして、朋子さんのお誘いに甘えて、打ち上げに参加した。

久世光彦さんのことはTVドラマの「時間ですよ」や「寺内貫太郎一家」などで知っていたけれど、書店でジャケ買いのように購入した「一九三四年冬—乱歩」によって、作家としての久世さんの世界に入り込んでいった。さらに、ご家族と交流させていただいている。

一冊の本との出会い。そこからさまざまな広がりがある。
人それぞれ、十人十色の世界を想像する。

(元高知新聞記者)

かつて、たまに宝くじを買っていたころ、くじは抽せん会までの間、書棚の本のページに挟んでおくことがあった。この時もそうだ。

出張先の富山で売り場の前を通りかかり、販売期限ぎりぎりであることに気づいて連番を一組買った。家に帰り、本に挟んだ。でも、そのことをしばらく忘れていた。
ある夜、寝床で読もうと久世光彦さんの本を開いた。封筒が額に落ちてきた。富山で買った宝くじだ。起きて番号を照合する。なんと、そのうちの1枚が2等と同じ番号だ。目を疑った。心臓が早鐘を打つ。しかし、組が違った。1等に組違い賞はあっても、2等にはなかったのだ。
一瞬の喜びだった。手に取った久世さんの本。タイトルは「悪い夢」といった。

 
1998年、高知市夏季大の講師として来高した久世さんに、このことを話した。そして著書にサインしていただいた。そこにはこう書かれていた。

「悪い夢でも ゆめは夢」

浜田 茂

【プロフィール】
浜田 茂
1958年須崎市生まれ。元高知新聞記者。編集部長、学芸部長、編集局次長兼編集委員室長、編集センター長など歴任。著書に「土佐の民家」(共著)。

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PROFILE

浜田 茂

1958年須崎市生まれ。元高知新聞記者。編集部長、学芸部長、編集局次長兼編集委員室長、編集センター長など歴任。著書に「土佐の民家」(共著)。