空と転車台 Web連載 第3回
1月27日は、佐川町出身の作家、坂東眞砂子さんの命日だった。2014年、55歳で亡くなって丸12年。今年は十三回忌に当たる。
坂東さんは、自由民権運動を舞台にした小説「梟首(きょうしゅ)の島」を2003年から順次、高知新聞や神戸新聞、信濃毎日新聞など地方紙に連載した。作品執筆にあたり、高知県内在住の歴史家や民俗研究者らが、文献調査や原稿チェックなど協力した。
この時の方たちと、坂東さんにお世話になった高知新聞の記者らが、坂東さんが亡くなった後も命日に集う。場所は、坂東さんがこよなく愛した高知市内の土佐っぽ料理「ゆう喜屋」さん。今年は衆院選が重なるなどでメンバーの都合がつかず、各自での追悼となったが、いつもは、これまた、こよなく愛した土佐の銘酒「美丈夫」を酌み交わし、思い出話に花を咲かせる。そこに坂東さんの席を用意し、献杯をして美味しい料理をいただいている。
1997年、坂東さんは作品「山妣(やまはは)」で直木賞を受賞した。高知県では宮尾登美子さん以来の受賞。新たな直木賞作家誕生の取材を、学芸部記者だった私が任された。
当時、坂東さんはイタリアにいた。マルコ・ポーロの時代を背景にした作品「旅涯(たびは)ての地」を執筆するため、ヴェネツィアに近いパドヴァに暮らしていた。
出版社に、坂東さんがいる住宅の電話番号を教えてもらい、取材を申し入れる。「こちらに来ていただけるなら」ということでOKをもらった。
待ち合わせは、パドヴァの駅のコンコース。
JALで関西空港からミラノに飛び、1泊して鉄道でパドヴァに入る。スマホはまだない。携帯電話ができて、これから普及し始めようかという頃。手元に通信機器はなかったが、待ち合わせの約束に何の不安も抱かず、列車で向かった。
パドヴァ着は少々遅れたけれど、坂東さんは「これくらいは早い方」とコンコースで待っていてくれた。それが坂東さんとの初めての出会いである。
坂東さんが予約しておいてくれたホテルに荷物を置き、2人で列車でヴェネツィアに向かう。サンタ・ルチア駅前から水上バスのヴァポレットに乗って、大運河をサン・マルコ広場へ。そこからは歩いて街を巡る。
マルコ・ポーロの生家跡など、次回作執筆のため坂東さんが取材した所を回った。時にはバールで喉を潤しながら。
翌日は坂東さんとともにパドヴァを歩いた。中世の街並みに溶け込むようにパドヴァ大学があった。そこでガリレオ・ガリレイやダンテ、ペトラルカが講義し、コペルニクスらが学んだという。果物を扱うフルッタ広場に顔を出し、ポルティコという柱廊を散策する。途中の酒屋で私は初めてグラッパを買った。
坂東さんを取材する合間には、スクロヴェーニ礼拝堂を訪れた。ここにはジョットの壁画がある。聖母とキリストの生涯を三十数面にわたって描いた。この時は、行けばすぐに鑑賞できたが、今は予約が必要で鑑賞時間も制限されているという。ちなみに、当時の通貨はリラ。ジョットの壁画の図録は1万リラだった。
イタリア取材をきっかけに、坂東さんとのつながりができ、その後、高知新聞への寄稿などお願いした。その一つが1面に数人のメンバーが交代で執筆したエッセー「視点」だ。
坂東さんはこの頃、タヒチで生活していた。原稿は私宛てにメールで届く。その原稿料は日本酒ということもあった。タヒチで日本酒の入手は困難。だから規定額分を送料含めた換算でと。日本酒は割れたらいけないので紙パック。酒屋で見繕ってもらい、郵便局から送った。
学芸面には「海望記」と題したエッセーを随時書いてもらった。タヒチやバヌアツ、高知で暮らすことからついたタイトル。「視点」と同様、ここでも意見をずばり展開。社会の疑問に正面から立ち向かう主張が心地良かった。
「やっちゃれ、やっちゃれ! 独立・土佐黒潮共和国」と題して出版された小説がある。これはまず、週1回のペースで新聞の1ページを使って連載した。
私に原稿が届くとプリントアウトして、同僚のカメラマンにも読んでもらう。そして、その回に添えるイメージ写真を考えるのだ。どんな写真にするか。坂東さんは私たちに任せてくれた。
映画化もされた「死国」でデビュー以来、出版された本は50作品以上という。その一部に関われたこと、一緒に行動できたことを誇りに思う。
命日に「ゆう喜屋」に集まるメンバーは、いつからか自らを「坂東組」と呼ぶようになった。「坂東組」は集うごとに齢を重ねながら、坂東さんへの思いを新たにする。
(元高知新聞記者)
直木賞受賞作「山妣」、高知新聞などに連載した「梟首の島」、
マルコ・ポーロの時代を描いた「旅涯ての地」
スクロヴェーニ礼拝堂で購入したジョットの壁画の図録
【プロフィール】
浜田 茂
1958年須崎市生まれ。元高知新聞記者。編集部長、学芸部長、編集局次長兼編集委員室長、編集センター長など歴任。著書に「土佐の民家」(共著)。
