Quiet Corner -心を静める音楽集- Web連載 第16回
昨年6月、アトラクト・イーエムの店内にあるフリッツハンセン・ショップで、「レコードで聴く、クワイエット・コーナーとバー・ブエノスアイレス」と題したトーク・イベントを開催しました。当日は、吉本宏さんと僕の出会いを発端にして、現在の活動に至るまでを、僕たちが影響を受けたレコードをかけながら、それにまつわるエピソードをお話しました。前回のコラムでは、トークの前半パートを文章にお越してお届けしましたが、今回はその続きとなります。
大学生になると、僕の音楽熱はさらに拍車がかかり、レコード・ショップへ足繁く通うようになりました。時は90年代中頃、当時の渋谷は、“歩けばレコ屋に当たる”と言われたように、至る所にレコード・ショップが散見し、世界唯一のレコード・シティと呼ばれていました。休日になると、少ないバイト代を握りしめて、何軒ものお店をはしごして、目当てのレコードを血眼になって探したものです。現在のようにインターネット・ショップが無い時代、頼りになるは、自分の足と知識、そして店員とのコミュニケーションでした。それは懐かしく、貴重な時間でした。そういえば、その頃、頻繁にレコード探しを付き合ってくれたのが、同じ大学の染谷大陽君。今ではLampというバンドを率いて、世界的に活躍しています。
さて、大学生になっても、音楽の指針はサバービア・スイートであることは変わりありません。橋本徹さんの紹介するレコードや、吉本宏さんの書くライナーノーツを読み込んで、充実した音楽生活を送っていました。そんなある日、橋本徹さんが渋谷の公園通りに「カフェ・アプレミディ」をオープンさせたことを知ります。1999年11月のことです。オープン当初は常に行列が出来て、そこに踏み入れるのも難しい状況でしたが、数か月後、やっと念願叶い、カフェ・アプレミディ初体験を果たしました。その時の情景は今でも鮮明に覚えています。お店のドアを開けた瞬間に、軽快なホーンの音が耳に飛び込んできました。かのマイルス・デイヴィスが、アレンジャーのギル・エヴァンスと組んで録音したクール・ジャズの名作『Miles Ahead』です。ギル・エヴァンスの独創的なブラス・アンサンブルと、フリューゲル・ホーンを構えたマイルスの緩やかな演奏が、店内に心地よく響き渡り、またボートに佇む貴婦人が写されたお洒落なレコード・ジャケットも店内の雰囲気に溶け込んでいました。

Miles Davis / Miles Ahead

Carole King / Rhymes & Reasons

Nara Leao / Os Meus Amigos Sao Um Barato
店内には木目調の素敵な家具や椅子がいくつも置かれていて、それまでレコード・ショップとファーストフードを往復していた自分にとって、少し大人の世界に入り込んだ気がしました。入口近くの ローテーブルを案内され、アイスコーヒーとカレーを注文し、しばしその洗練された空間を味わっていると、店主が次にかけるレコードを素早く用意していました。ふと流れてきたのは、女性シンガー・ソングライターの優しい歌声と温かなピアノ。アメリカを代表する作曲家、キャロル・キングが1972年に残した『Rhymes & Reasons』(邦題は『喜びは悲しみの後に』)で、それはつい数日前に、僕が御茶ノ水にある中古ショップで手に入れたばかりの一枚でした。その後、食事を済ませ、会計を終える頃には、綺麗なブルーが描かれたジャケットが印象的な、ブラジルのナラ・レオンのレコードに入れ替わっていました。
こうして、サバービア・スイートを通じて出会った沢山のレコードが、僕の活動の礎となっています。そして初めてカフェ・アプレミディを訪れた、あの眩しい瞬間や、そこで聴いたレコードの音が、今でもしっかりと心に刻み込まれています。あれから30年の月日が経ち、渋谷の街もすっかり様変わりしました。レコード・ショップはすっかり影を潜め、あの頃の風景はもうありませんが、2014年にカフェ・アプレミディはファイヤー通りに移転して、現在もなお素敵な音楽を鳴らし続けています。たとえ場所が変わっても、今でもお店のドアを開くたびに、あの時のときめきが蘇ってくるのです。
Quiet Corner Release Information
Quiet Corner
a collection of melancholic music(LP)
クワイエット・コーナー。ディスク・ガイドブック『クワイエット・コーナー 心を静める音楽集』の出版とコンピレーションCDシリーズ開始から10周年を記念し、完全限定アナログ・レコードが発売。クワイエット・コーナーとの相性がよいアナログならではのあたたかみのある音で、初期作品から選りすぐった名曲を収めました。

Eliza Lumley
She Talks in Maths – Interpretations of Radiohead
英国の俳優・歌手エリザ・ラムレイが2007年に発表した「レディオヘッドの解釈」と名づけられたカヴァー・アルバム。単なるジャジー・カヴァー集とは違う、内省的な空気感に包まれ、傍らでささやきかけるようなヴォーカルに静寂が宿る名作が、クワイエット・コーナーから遂に国内盤CDとしてリイシュー。

【プロフィール】
山本勇樹
HMV本部にて商品バイイングを担当する傍ら、ラジオやUSENの選曲、数多くのライナー・ノーツや雑誌への寄稿を行い、2014年には書籍『クワイエット・コーナー~心を静める音楽集』を刊行。過去に文具ブランドのデルフォニックスや洋服ブランドのニシカとコラボレーションを実現。また友人の吉本宏と共にbar buenos airesの活動も行う。2016年にはモントルージャズ・フェスティバル50周年の公式リポートを担当した。2020年12月に韓国にてクワイエット・コーナーの新刊を出版。2021年8月には、7年ぶりの新刊『クワイエット・コーナー 2~日常に寄り添う音楽集』を刊行。
https://vilakitoco66.wixsite.com/mysite